通勤カバンで一泊できる
<p>今週のお題「カバンの中身」</p>
通勤カバンには、化粧品などは一通り全部入れている。
理由は2つ。
①拘束時間の長い職場にいた頃の名残。
→仕事の性質上、帰り時間がいつも読めないので、最悪泊まりになってもいいようにしていた。といっても、泊まったことはなかったけれど。
②毒親にいつ家を閉め出されるかわからないから。
→以前、帰りが遅くなると連絡をしなかったことでブチ切れた母に、家から閉め出されたことがある。その日は友達の家に泊めてもらったが、化粧品など肌につける系のものは大体持っていたので助かったし、これからも持ち歩こうと思う。
【通勤カバンの中身】
まずは化粧ポーチ、さらにその中身は…
・リップチーク
・リップ(赤系orピンク系)
・リップクリーム
・コンシーラー
・ファンデorフェースパウダー
・アイライナー
・ダブルラインフェイカー(KATEの)
・アイシャドウ
・眉ブラシ
・爪研ぐやつ(名前知らん)
・目薬3種類(ドライアイ用とアレルギー用)
・手の塗り薬
・唇用のプロペト
ここまででポーチ大小2つ。
そして他には。
・スマホ(あいふぉん)
・コード譜とか歌詞カードが数枚入ったクリアファイル
・小さめのスケジュール帳
・でかい財布
・パスモ
・ちっちゃいウナコーワ
・折りたたみ傘
・文庫本
・イヤホン
・あいふぉんの充電器
・ポケットティッシュ3つ
・タオルハンカチ
・生理用品(3種)
まだ何かあった気がするけど大体こんな感じ。
ちなみに通勤ではなくただのお出かけのときは、コンシーラー、アイライナー、リップチーク、ヒルドイドがあれば急に泊まることになっても何とか化粧顔は作れる。これも経験済み(笑)眉毛はしっかりしてるし、前髪で誤魔化せるので妥協したけど、ブラウンのシャドウと細いブラシぐらいは持ってた方がいいかな…ああ荷物減らない………。
自発的に過呼吸を起こす癖がついた
不定期に過呼吸を引き起こす。呼吸が荒くなって、手足が痺れ、頭がクラクラして倒れこむ。
パニック障害かなと思ったけれども、なんか違う気がしていた。
いつも過呼吸発作を起こす時は、自ら自分を責めるような思考回路をして、その症状を引き起こしている。パニック障害だとパニックになるらしいが、私の場合はほとんどパニクらないし、むしろ「ああできた。可哀想な自分できた」と一種の快楽のようなものすら感じている。よく考えるとこれは、自傷行為に近いかもしれない。
ネットの検索窓で「自傷行為」と入れたら「自傷行為 境界性人格障害」とサジェストされた。
そして、「境界性人格障害 過呼吸」で検索してみるとやはり引っかかった。
なるほど、そこに行き着くのか。
前々から自分の攻撃性や情緒不安定さなどが何に当てはまるのか調べていたが、そのときもやはり境界性人格障害(以下、ボーダーと記す)に辿り着いた。
ボーダーには自傷行為もあるらしい。みんなに自分を見てほしくてそういうことをするんだそう。私もそうだ。休憩時間に、トイレの鏡に映った自分に、「お前は普通の人のフリしてるだけで普通じゃないんだからさ」「まぁよくやってるよ、底辺のゴミ屑なのに」などと話しかけてわざと自分を責めて、過呼吸を引き起こした。
みんなに同情してほしくて。
わざと過呼吸を起こせる、というのも既にちょっとおかしいのかもしれない。
今までにないくらい手が痺れて、指が動かなくなって、ちょっとだけこわかったけれど、しばらく経ったらおさまった。
ボーダーになる原因は幼少期の家庭環境が大きいらしい。父親は不在がちで、情緒不安定な母にはよく叩かれたり怒鳴られたり脅されたりしていた。「早く死ね!早く!」と煽られたり、「お前のために命削ってるんだ」と言われながら目の前で精神安定剤を飲まれたりもした。今はだいぶ平和になったけど、そういう過去が私の中に確実に蓄積されていて、それらが今、過呼吸をわざと引き起こすという自傷行為に繋がっているのかもしれない。
私の願い通り同情してくれた人たちに、病院に行くことを勧められたので、カウンセリングに行こうと思う。
親に家を閉め出された記録5選
子供の頃、よく家を閉め出されていた。数えきれないほど何回もやられたが、特に印象的だったのを解毒がてら書いていこうと思う。
①3~4歳くらいだったと思う。この頃は小さな2Kのアパートに住んでいた。
母が包丁を向けて無言で近づいてきて、恐くて恐くて、ありったけの声で泣き叫んでいた。叫び声が外に聞こえれば誰かが助けてくれるかもしれないと、幼いながらに思っていたような気がする。
その後の記憶は一部飛んでいて覚えていないが、気が付くと玄関の外にいた。「助かった・・・」と思ったが、外に出されても特にやることがない。こういうときどうするんだっけ?ああそうだ、泣いて家に入れてもらうんだった、と思って、仕方なく「開けて開けてー!!」とドアをたたいていたような。
そうこうしているうちに、お隣の部屋に住む1歳下の女の子のお母さんが帰ってきて、家に入れてくれた。その後でうちの母が迎えに来たのかな。
ところどころ記憶は曖昧だけど、包丁を向けられてこの世の終わりみたいな恐怖を感じたことだけは鮮明に覚えている。母は覚えてないだろうな。
②小学校4年生の頃。理由は忘れたが母がずっと不機嫌だった。友達の家に遊びに行った後に、父と2人で出かけた。父は学生時代の友人たちとサッカーをすることになっていて、そこに私も混ぜてもらったんだったかな。そのサッカーが終わった後、母の機嫌が悪いのを知っていた父が私を連れてドライブに行こうとしてくれていたところ、父のケータイに母から電話がかかってきた。すぐ帰って来いとのことらしい。帰宅すると父だけが家に入り、私は外に閉め出された。このとき、玄関口に母がいたかどうか覚えていないんだが、私は力づくで外に出されたわけではない。父の言動次第で私が家の中に入ることは十分可能な状況だった。外に閉め出すなんてだめだよと母に言い、私を力づくで家に入れることはできただろうに、父はそういう類のことを一切しなかった。ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をして父はのこのこと家に入っていった。閉め出されたのは18時か19時くらいだったが、このあと4~5時間ほど玄関の前にいた。立ったり座ったり…。近所の公園でも行けばいいのに、そんな発想は無く、家の敷地内から離れずにひたすら考え事をしていた。
家に入れてもらえたのは23時頃だった。父がドアを開けてくれて、「お母さんもう寝たから入っていいよ(小声)」とのことである。子供を外に出したまま寝るとかどんな神経してんだよ流石に冗談だろ、と思ったが母は本当に熟睡していた。ちなみに、あまりに長時間閉め出されるとある種のハイ状態になるのか、家に入れてもらえることになっても、「もうちょっと外にいたい」と感じることもあった。
③中学1年の頃。ご飯を食べ終わるのが遅くて、茶碗と箸を持ったまま玄関の外に立たされた。休日の真昼間である。家の前では小さい子が遊んでいるような時間帯だ。中学生ともなればさすがに人目も気にするし、これはもう本当に恥ずかしかった。しかも、味噌汁の入った茶碗に食べ途中のおかずが詰め込まれていて、匂いが混ざって臭くて食べられたもんじゃない。特に味噌汁とリンゴの組み合わせは最悪だった。
④中学2年の頃。これも理由は忘れたが外に出されたので、以前通っていた(突然辞めさせられた)塾の方へ向かって歩いてみた。途中に踏切があり、ここに飛び込んで死んでみようかな…と考えたが思いとどまった。踏切があくと、反対側から同じ塾に通っていた親友のMが来たので、声を掛けた。Mは少し驚いていたが、ドン引きもせずに私の話を聞いてくれた。良い友達が1人でもいてくれて本当に良かったと思った。
⑤中学3年の受験期。私が少しばかり遊んでいたため、トレーナーを脱がされ、タートル1枚で走って来いと言われた。1月なのでめちゃくちゃ寒かった。いま考えると、受験期に風邪引いたらどうすんだよと思う。
閉め出しは高校入学以降も続いたけど、今回はこのへんで。